2019年01月15日

アルヴァ・アールトの建築T

「アルヴァ・アールト」は、20世紀を代表する世界的な建築家のひとりである。
1898年に、フィンランド大公国クオルタネに生まれ、1903年にユヴァスキュラに移り少年時代を過ごした。その後、アラヤルヴィに移り住み、1916年に「ヘルシンキ工科大学」において「アルマス・リンドグレン」の下で建築を学んだ。
1921年卒業後、スウェーデンに渡り、「アルヴィート・ビヤルケ」の事務所で働き、1922年にユヴァスキュラの近くに建つ教会を設計した。
1923年に、ユヴァスキュラに仕事を得たために戻り、設計事務所を開設した。本名「フーゴ・ヘンリク・アールト」とであったが、フィンランド建築家リストのトップに来るように「アルヴァ・アールト」とした。

1923年に、フィンランド、カウハヤルヴィに小さな教会「ベルタワー」が完成した。

bell_tower.jpg

彼が、この鐘楼「ベルタワー」を設計するときに教会本体も設計したが、古い教会をそのまま使用することで計画は無くなった。彼の死後、教会は焼失して、他の建築家によって教会は建てられた。

1925年に、フィンランド、ユヴァスキュラに「労働者会館」が完成した。

労働者会館2.jpg

彼の最初の公共建築物であり、新古典主義に基づく作風の建物である。

1925年に、フィンランド、セイナヨキに「自衛団ビル」が完成した。

自衛団ビル2.jpg

この建物も新古典主義に基づいたデザインで、シンメトリーで中央の入口の高さが際立っている。

1929年に、フィンランド、ムーラメに「ムーラメ教会」が完成した。

ムーラメ教会.jpg

「ムーラメ教会」は、修道院のようなシンプルな建物であるが、まだ新古典主義的な作品の建物である。

1929年に、フィンランド、ユヴァスキュラに「自衛団ビル」が完成した。

ユヴァスキュラ自警団ビル2.jpg

ユヴァスキュラの「自衛団ビル」は、セイナヨキの「自衛団ビル」よりもよりシンプルな建物に仕上がっているが、新古典主義からまだ抜きでていない。

1930年に、フィンランド、トゥルクに「トゥルン・サノマト新聞社」が完成した。

トゥルンサルマト新聞社.jpg

「トゥルン・サノマ新聞社」は、本社と、印刷工場として建てられた。通りに面したファサードは、屋上庭園・自由なファサード・横長の連続窓・そしてピロティと「ル・コルビュジェ」の提唱した「新しい建築の五原則」により構成されている。
1933年に、フィンランド、パイミオに「パイミオのサナトリウム」が完成した。

パイミナのサナトリウム.jpg

この作品は、北欧においてモダニズム建築が台頭するきっかけとなった建物である。

1935年に、ロシア、ヴィープリに「ヴィープリ図書館」が完成した。

ヴィープリ図書館3.jpg

本来は、この建物が北欧においてモダニズム建築が台頭するきっかけとなったはずであったが、「パイミオのサナトリウム」が先に完成した。第二次世界大戦で爆撃を受けて10年以上放置されていたが、1991年から修復を開始し、20年以上の歳月をかけて2013年にオープンした。

次回は、1935年以降の作品を紹介します。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考
        ●アルヴァ・アアルトの本

○もう一つの自然   ○アルヴァ・アールトの建築  ○建築ガイドブック 

       

        ●ゴディバのチョコレート


        ●小樽ルタオのケーキ


posted by 墨水 at 09:30| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

ペーター・ベーレンスの建築V

前回は、1925年の「ヘキスト社の管理棟」まで、紹介しましたので、今回は、1927年以降の建築を紹介します。

1927年に、ドイツ、シュトゥットガルトに「ヴァイセンホーフ・ジードルング」の実験住宅「テラスハウス」が完成した。

テラスハウス.jpg

「テラスハウス」は、「ドイツ工作連盟」主催の住宅展覧会で、シュトゥットガルト郊外ヴァイセンホーフの丘に建設された実験住宅群である。ドイツを中心に17人の建築家が参加し、モダニズム建築の実践の場となった。「ミース・ファン・デル・ローエ」が全体計画を立て、「ミース」、「ル・コルビュジエ」、「グロピウス」、「アウト」、「シャロウン」らの設計による住宅が建設され、そのうちのひとつである。

1935年に、オーストリア、リンツに「オーストリアタバコ工場」が完成した。

オーストリアタバコ.jpg

「オーストリアタバコ工場」は、彼の弟子である「アレクサンダー・ポップ」との共同設計で、オーストリアで初めての鉄骨構造の建物である。2007年に、「日本たばこ産業」に買収され、工場は閉鎖した。2010年にリンツ市は、「日本たばこ産業」から38,148平方メートルの工場面積と既存の建物の株価を2,000万ユーロで購入し、それを都市開発地域と宣言し、現在は、イベント会場としての使用やベンチャー企業の事務所として利用されている。

1932年に、ドイツ、ベルリンのアレキサンダー広場に「アレキサンダーハウス」及び「ベロリーナハウス」が完成した。

アレキサンダー広場.JPG

「アレキサンダーハウス」は、写真右側の屈曲した建物で、計画当初はU字型に広場を囲む予定であったためのこのようなデザインをしている。そして、隣にある写真左側の建物が「ベロリーナハウス」である。同じようなデザインの建物で、鉄骨コンクリート造の8階建てで、外壁は石灰岩で仕上げられている。

1951年に、オーストリア、リンツに「クリストケーニッシュ教会」が完成した。

クリストケーニッシュ教会.jpg

「クリストケーニッシュ教会」は、1927年から1931年までの間は「ペーターベーレンス」と「アレクサンダー・ポップ」の共同と、「ハンス・フェヒトルバウアー」によって設計が行われていた。その後の1933年から1934年の間に三人の協力体制を組んで設計が行われた。そっして、 1934年から建設が行われが、「ハンス・フォシュム」によって計画変更が行われ、身廊はヨークによって低く、短くなって、塔は聖歌隊ののための塔となって、身廊と塔は1949年から1951年までに建設された。1971年には、別な建築家よって「労働日礼拝堂」が追加された。
彼は、1940年に亡くなっている。

今回は、「Wikipedia」」他を参考に紹介しました。

☆参考

      ○ペーター・ベーレンス                ○ミース・ファン・デル・ローエ   
モダン・開拓者の一生   ポスターアート印刷    トゥーゲンハット邸

              

  


posted by 墨水 at 18:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

ペーター・ベーレンスの建築U

前回は、1912年までの「ペーター・ベーレンス」の建築を紹介しましたので、今回は、1912年以降の彼の建築を紹介します。

1912年に、ドイツ、デュッセルドルフに完成した「マンネスマンハウス」が完成した。

マンネスマンハウス.jpg

「マンネスマンハウス」は、「マンネスマンローレン・ヴェルケAG」の管理棟として建てられた。後に、「マンネスマン」に改名した。
「マンネスマン」が「ボーダフォン」社の傘下に入った後、この建物は、2012年に「ノルトライン=ヴェストファーレン州」に売却された。

1912年に、ロシア、サンクトペテルブルクに「ドイツ大使館」が完成した。

ドイツ大使館.jpg

「ドイツ大使館」は、レセプションルーム、オフィスや大使のアパートの用途をもつ2つの3階建ての建物がL型に配置され、さらに中庭を取り囲むように低層部の建物がL型の配置されている。非対称主ファサードは、58mの横幅があり、全ての階の床の上に延びる15本の半列柱が規則正しく配置されている。外観は、赤およびグレーフィンランド花崗岩で仕上げられている。

1912年に、ドイツ、ベルリンに「ウィーガンドハウス」が完成した。

ウィーガンドハウス2.jpg

「ウィーガンドハウス」は、考古学者であり、博物館のディレクターの「テオドール・ウィーガンド」のための建てた家で、住宅としては珍しい新古典主義様式の建物である。

1912年に、ドイツ、ベルリンに「AEGの大型機械組立棟」が完成した。

AEG大型機械組立棟2.jpg

「AEGの大型機械組立棟」のような外観の「AEG」社の建物が、ベルリンにその後も建設された。

 2014年に、ドイツ、ハノーバーに「経済開発の家」が完成した。

経済開発院.jpg

「経済開発の家」は、市の所有であり、いくつかの地域団体の本拠地になっているが、このビルの一部は経済発展のために新興企業や自営業者に貸し出されている。

1917年に、ドイツ、ベルリン、 オバーシェネヴァイデに「国立自動車会社(NAG)」の工場が完成した。

ベーレンスビル.jpg

「NAG」の工場は、1950年に「テレビエレクトロニクス(WF)」の工場として建設されたが、1992年に韓国の「サムスン」が所有者になり、2010年まで「サムスン」の工場として使用された。その後「コニ―兄弟」に所有権が移り、このビルの名前を「ペーター・ベーレンスビル」と変更した。

1925年に、ドイツ、フランクフルトに「ヘキスト社の管理棟」が完成した。

ヘキスト管理棟.jpg

「ヘキスト社の管理棟」は、幾多の歴史的編纂を繰返し、1998年に包括的な修復が始まり2002年にはほぼ修復を終えた。そして、2007年には、大幅に改装された展示ホールが、可能な限り元の状態に復元された。

今回は、「Wikipedia」」他を参考に紹介しました。

☆参考

      ○ペーター・ベーレンス                ○ミース・ファン・デル・ローエ   
モダン・開拓者の一生   ポスターアート印刷    トゥーゲンハット邸

              





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