2019年06月04日

アルネ・ヤコブセンの建築

「アルネ・ヤコブセン」は、1902年にデンマーク、コペンハーゲンに生まれ、1921年に画家になることを父に反対されて家を出た。
客船の旅客係として働くが船酔いを克服出来ずにすぐに辞め、友人の建築家「フレミング・ラッセン」の勧めで建築の道に進むために、1924年に「デンマーク王立芸術アカデミー」に入学した。
在学中、「カイ・フィスカー」のもとで、1925年の「パリ万国博覧会」に「デンマーク・パヴィリオンの椅子」の設計で参加した。
1927年に、「デンマーク王立芸術アカデミー」を卒業して、「パウル・ホルセン」の事務所に入所する。
1929年に、友人の「フレミング・ラッセン」と共に、「デンマーク建築フォーム」のコンペにモダニズムの形式をとった「未来の家」を発表した。

ヤコブセン(未来の家).jpg

この発表を機に注目を集め住宅建築の依頼が、増えはじめて来たことでその年に事務所を開設した。
1934年に、コペンハーゲンの北に位置するクランペンボーの海岸沿いのベルヴィー地区のリゾート型複合住宅建設コンペに当選して、「ベラヴィスタ集合住宅」を手掛けた。

ヤコブセン(ベラヴェスタ集合住宅).jpg

この時に、ヨーロッパ各国を回り、多くの古典建築に触れた。
1940年に、第二次世界大戦でデンマークがナチス・ドイツに占領されために、ユダヤ人であった「アルネ・ヤコブセン」は、ナチスの迫害を恐れて、「ポール・ヘミングセン」と、一緒に中立国であったスウェーデンに逃れた。
亡命中は建築設計はほとんど行われずに、テキスタイル・デザインを手掛けて過ごした。
第二次世界大戦が終わると、再びデンマークへ帰国した。
1946年から手掛けた「スーホルム集合住宅」が、1950年に完成した。

ヤコブセン(スーホルム集合住宅).jpg

この建物は、非対称の屋根を採用するなど新しい概念を持ち込んだテラスハウスが完成した。
1956年には、「ロドオウア市庁舎」が完成した。

ロドオウア市庁舎.jpg

1955年設計時に、この建物のためにデザインしたのが「セブンチェア」である。

ヤコブセン(セブンチェア)2.jpg

「セブンチェア」は、「アントチェア」のファミリータイプとしてデザインされた。

今回は、「wikipedia」、「20世紀の椅子たち」他を参考に、紹介しました。

1964年以降の建築は、「アルネ・ヤコブセンU」で紹介します。

☆参考

  ○アルネ・ヤコブセン           ○アルネヤコブセン
     時代を超えて造形美             建築とデザイン

        

○20世紀の椅子たち             ○セブンチェア

       


  
posted by 墨水 at 14:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月21日

ル・コルビュジエの「チャンディーガル都市計画」

今回は、「ル・コルビュジエの建築」の続きとしてインドの「チャンディーガル都市計画」での建築を紹介をいたします。

「チャンディーガル都市計画」は、1947年にパキスタンがインドから分離独立した時に「パンジャブ州」もパキスタンとインドに分離され、首都がパキスタン側にあったために、新たな州都を創る必要が生じた。インドの初代首相「ジャワハルラール・ネール」が、アメリカの建築家「アルバート・マイヤー」とポーランドの建築家「マシュー・ノヴィッキ」に州都のマスタープランを依頼したが、「ノヴィッキ」が事故で亡くなったことで、1950年に「ル・コルビュジェ」に計画が引き継がれた。

チャンデガール計画図2.jpg

「ル・コルビュジエ」は、CIAMの都市計画の原則に沿ったモダニズムの都市を計画した。ゾーニングに関しては、都市機能を擬人化して配置し、道路に8段階の順列をつけ、歩道と車道を分離し歩行者用の道路網を計画した。46の区域に分割し、分割された区域を「セクター」と呼び、それぞれのセクター内だけにおいて、"住む"、"働く"、"レジャー"が出来るように計画した。議場棟および行政事務棟、高等裁判所は、「セクター1」(上記地図の最上部)に配置され、それらの象徴的な建物を「ル・コルビュジエ」によって設計された。
1953年に最初に完成したのが、「ボートクラブ」である。

ボートクラブ.jpg

地図の上部右側(北東部)に水瓶として作られた人工湖「スクナ湖」に、この「ボートクラブ」は作られた。

次に完成したのは、1955年に「スクナ湖」から西側のエリアに「高等裁判所」である。

高等裁判所.jpg


この建物の原色で塗られた巨大な柱が屋根を支え、この屋根が2重構造になっていて屋根の熱が直接室内に入らないように工夫されている。この大きな屋根は、強い日差しと大雨に対応するように出来ていて、「ブリーズ・ソレイユ」によって日差しを遮っている。

1958年には、「高等裁判所」よりさらに西側に「合同庁舎」が完成した。

合同庁舎.jpg

「チャンディーガル」は、ハリヤナ州とパンジャブ州の両方の州都ということで庁舎が合同となっているが、行政上はどちらの州からも独立した連邦直轄領の1つである。写真右側が「ハリヤナ州」、左側が「パンジャブ州」の庁舎である。

1958年には、「高等裁判所」より南側に「市立美術館」が完成した。

美術館2.jpg

「ル・コルビュジエ」は、生涯で3つの美術館しか設計していない。そのうちのひとつが「チャンディーガル」の「美術館」である。後の2つは、同じインドのアーメダバードの「サンスカル・ケンドラ美術館」(1958年)と、日本の東京上野の「国立西洋美術館」(1959年)である。

1962年には、「合同庁舎」の東側、「高等裁判所」の西側の中間に「議事堂」が完成した。

議事堂.jpg

この建物は、「ル・コルビュジエ」の特徴が良く表れていて、それが「大きく反りあがった屋根」と、「ブレーズ・ソレイユ」と、「打ち放しコンクリート」である。

1985年には、「高等裁判所」と「議事堂」の中間に「開かれた手の碑」が完成した。

開かれた手の碑.jpg

「ル・コルビュジエ」は、特にこの「開かれた手」の意味を説明をしていないが、彼の芸術家としての感性の表れではないだろうか。

今回は、「wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考

○カーサ・ブルータス   ○世界遺産     ○ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエ   ル・コルビュジエ    のインド
の教科書      の作品群      

   

posted by 墨水 at 09:35| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月05日

アルヴァ・アアルトの建築U

今回は、1935年以降の作品を紹介いたします。

1952年に、フィンランドのユヴァスキュラ市郊外にある小さな湖の島のセイナッツァロに「セイナッツァロの村役場」が完成した。

セイナッツァロ役場4.jpg

「セイナッツァロの村役場」は、「ユヴァスキュラ市役所」の分庁舎にあたり、外観がレンガの建物で非常に際立っている。

1955年には、ヘルシンキに「ラウタタロ・オフィス・ビル」が完成した。

ラウタタロ・オフィス・ビル.jpg

「ラウタ・タロ」とは、「鉄の家」という意味で、オーナーが鉄鋼業者の組合のために名づけられた。1・2階には店舗があり、3階から上がオフィスとして使用され、中心部に三層吹き抜けのホールがあり市民の憩いの場として使用されてきた。

1956年には、ヘルシンキに「フィンランド国民年金協会」が完成した。

国民年金協会.jpg


この建物は、三方を道路に囲われた、三角形敷地に建つ建て物で、平面は中庭を囲んだ台形型のプランである。外観のレンガが目立つが、1階廻りは銅板を使用した納まりで、銅版も経年変化によるものか緑青色になっている。

1957年には、フィンランドのユヴァスキュラにある「ユヴァスキュラ教育大学」が完成した。

ユヴァスキュラ教育大学.jpg

1951年に大学のデザインの委託を受け、ユヴァスキュラの住民の持つ「北方のアテネ」という街のイメージでデザインされ、レイアウトは古代ギリシャのアクロポリスにならって計画されている。

1958年に、イマトラに「ヴオクセンニスカの教会」が完成した。

ヴォクセンニスカ教会2.jpg

この建物の天高くそびえる白い塔に非対称的で有機的な外観が特徴で、内部に入ると奥にある祭壇には3本の白い十字架がひっそりと佇んでいる。この建物が、「3つの十字架のある教会」と言われるゆえんである。

1960年には、セイナヨキに「セイナヨキ教会」が完成した。別名「ラケウデン・リスティ教会」と言われる。

セイナヨキ教会.jpg

この教会は、1951年に行われたコンペによって獲得し、1957年に着工した。教会の床面積は、1600u強で、ホールは、大聖堂の形が取られており、47mの長さがあり、祭壇に近づくほど通路が狭くなり、床が60pほど低くなっていく。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

1960年代以降の作品を次回に紹介します。


☆参考

○アルヴァ・アアルトの建築エレメント&デティール



○建築ガイド「アルヴァ・アアルト」



○アルヴァ・アアルト「セイナッツァロの村役場&夏の家」





posted by 墨水 at 14:26| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする