2018年12月29日

ペーター・ベーレンスの建築V

前回は、1925年の「ヘキスト社の管理棟」まで、紹介しましたので、今回は、1927年以降の建築を紹介します。

1927年に、ドイツ、シュトゥットガルトに「ヴァイセンホーフ・ジードルング」の実験住宅「テラスハウス」が完成した。

テラスハウス.jpg

「テラスハウス」は、「ドイツ工作連盟」主催の住宅展覧会で、シュトゥットガルト郊外ヴァイセンホーフの丘に建設された実験住宅群である。ドイツを中心に17人の建築家が参加し、モダニズム建築の実践の場となった。「ミース・ファン・デル・ローエ」が全体計画を立て、「ミース」、「ル・コルビュジエ」、「グロピウス」、「アウト」、「シャロウン」らの設計による住宅が建設され、そのうちのひとつである。

1935年に、オーストリア、リンツに「オーストリアタバコ工場」が完成した。

オーストリアタバコ.jpg

「オーストリアタバコ工場」は、彼の弟子である「アレクサンダー・ポップ」との共同設計で、オーストリアで初めての鉄骨構造の建物である。2007年に、「日本たばこ産業」に買収され、工場は閉鎖した。2010年にリンツ市は、「日本たばこ産業」から38,148平方メートルの工場面積と既存の建物の株価を2,000万ユーロで購入し、それを都市開発地域と宣言し、現在は、イベント会場としての使用やベンチャー企業の事務所として利用されている。

1932年に、ドイツ、ベルリンのアレキサンダー広場に「アレキサンダーハウス」及び「ベロリーナハウス」が完成した。

アレキサンダー広場.JPG

「アレキサンダーハウス」は、写真右側の屈曲した建物で、計画当初はU字型に広場を囲む予定であったためのこのようなデザインをしている。そして、隣にある写真左側の建物が「ベロリーナハウス」である。同じようなデザインの建物で、鉄骨コンクリート造の8階建てで、外壁は石灰岩で仕上げられている。

1951年に、オーストリア、リンツに「クリストケーニッシュ教会」が完成した。

クリストケーニッシュ教会.jpg

「クリストケーニッシュ教会」は、1927年から1931年までの間は「ペーターベーレンス」と「アレクサンダー・ポップ」の共同と、「ハンス・フェヒトルバウアー」によって設計が行われていた。その後の1933年から1934年の間に三人の協力体制を組んで設計が行われた。そっして、 1934年から建設が行われが、「ハンス・フォシュム」によって計画変更が行われ、身廊はヨークによって低く、短くなって、塔は聖歌隊ののための塔となって、身廊と塔は1949年から1951年までに建設された。1971年には、別な建築家よって「労働日礼拝堂」が追加された。
彼は、1940年に亡くなっている。

今回は、「Wikipedia」」他を参考に紹介しました。

☆参考

      ○ペーター・ベーレンス                ○ミース・ファン・デル・ローエ   
モダン・開拓者の一生   ポスターアート印刷    トゥーゲンハット邸

              

  


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2018年12月25日

ペーター・ベーレンスの建築U

前回は、1912年までの「ペーター・ベーレンス」の建築を紹介しましたので、今回は、1912年以降の彼の建築を紹介します。

1912年に、ドイツ、デュッセルドルフに完成した「マンネスマンハウス」が完成した。

マンネスマンハウス.jpg

「マンネスマンハウス」は、「マンネスマンローレン・ヴェルケAG」の管理棟として建てられた。後に、「マンネスマン」に改名した。
「マンネスマン」が「ボーダフォン」社の傘下に入った後、この建物は、2012年に「ノルトライン=ヴェストファーレン州」に売却された。

1912年に、ロシア、サンクトペテルブルクに「ドイツ大使館」が完成した。

ドイツ大使館.jpg

「ドイツ大使館」は、レセプションルーム、オフィスや大使のアパートの用途をもつ2つの3階建ての建物がL型に配置され、さらに中庭を取り囲むように低層部の建物がL型の配置されている。非対称主ファサードは、58mの横幅があり、全ての階の床の上に延びる15本の半列柱が規則正しく配置されている。外観は、赤およびグレーフィンランド花崗岩で仕上げられている。

1912年に、ドイツ、ベルリンに「ウィーガンドハウス」が完成した。

ウィーガンドハウス2.jpg

「ウィーガンドハウス」は、考古学者であり、博物館のディレクターの「テオドール・ウィーガンド」のための建てた家で、住宅としては珍しい新古典主義様式の建物である。

1912年に、ドイツ、ベルリンに「AEGの大型機械組立棟」が完成した。

AEG大型機械組立棟2.jpg

「AEGの大型機械組立棟」のような外観の「AEG」社の建物が、ベルリンにその後も建設された。

 2014年に、ドイツ、ハノーバーに「経済開発の家」が完成した。

経済開発院.jpg

「経済開発の家」は、市の所有であり、いくつかの地域団体の本拠地になっているが、このビルの一部は経済発展のために新興企業や自営業者に貸し出されている。

1917年に、ドイツ、ベルリン、 オバーシェネヴァイデに「国立自動車会社(NAG)」の工場が完成した。

ベーレンスビル.jpg

「NAG」の工場は、1950年に「テレビエレクトロニクス(WF)」の工場として建設されたが、1992年に韓国の「サムスン」が所有者になり、2010年まで「サムスン」の工場として使用された。その後「コニ―兄弟」に所有権が移り、このビルの名前を「ペーター・ベーレンスビル」と変更した。

1925年に、ドイツ、フランクフルトに「ヘキスト社の管理棟」が完成した。

ヘキスト管理棟.jpg

「ヘキスト社の管理棟」は、幾多の歴史的編纂を繰返し、1998年に包括的な修復が始まり2002年にはほぼ修復を終えた。そして、2007年には、大幅に改装された展示ホールが、可能な限り元の状態に復元された。

今回は、「Wikipedia」」他を参考に紹介しました。

☆参考

      ○ペーター・ベーレンス                ○ミース・ファン・デル・ローエ   
モダン・開拓者の一生   ポスターアート印刷    トゥーゲンハット邸

              





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2018年12月09日

ペーター・ベーレンスの建築T

「ペーター・ベーレンス」1868年にドイツ、ハンブルク に生まれた、20世紀ドイツの建築家、デザイナーであり、モダニズム建築や工業建築の分野の発展に多大な影響を与えた人物である。

初めは、ドイツ、ミュンヘンで画家・グラフィックデザイナーとして活動し、1892年に「ミュンヘン分離派」に参加した後に、建築家に転じて、「ヘルマン・ムテジウス」の「ドイツ工作連盟」に参加した。

1901年に、ドイツ、ダルムシュタットに「自邸」を完成させた。

自邸.jpg

1903年までダルムシュタットに滞在して、「自邸」住んだ。その後の第二次世界大戦の時に、ダルムシュタットの爆撃のよって一部破壊されたが、その後に再建された。

1907年に、ベルリンに事務所を開設した。

1907年に、ドイツ、ハーゲンに「ハーゲン火葬場」が完成した。

ハーゲンの火葬場.JPG

「ハーゲン火葬場」は、純粋に機能的で実用的なデザイン性をもつアールヌーボーの強い線形に影響を受けている。

1907年に、ドイツ、ザールブリュッケンに「オベナウアー邸」が完成した。

オベナウアー邸.jpg

ザールブリュッケンの食品問屋「グスタフ・オベナウアー」氏の依頼によって建てられた。1940年、「オベナウアー邸」は、政府に売却され、1945年以降は、「青少年の家」として1962年まで使用されたが、2001年に、この家は再び所有者は、個人となった。

1907年以降に、電機メーカー「AEG」のデザイン顧問に就いて、1910年には「AEGタービン工場」完成させた。

AEGタービン工場.jpg

「AEGタービン工場」は、鉄骨造建築を新古典主義様式でまとめ、彼のモダニズム建築初期の代表的作品となった。
彼は、建築の他に「AEG」社の「ガス給湯器」や「照明器具」、「家電」、「文房具」、「タイプライター」等の工業製品のデザインも手がけて、インダストリアルデザイナーとしても活躍した。彼のデザインした「AEG」社の企業ロゴは、各種の「AEG」の製品に使用された。これが、コーポレートアイデンティティの先駆けとなっている。

1911年に、ドイツ、ハーゲンに「クーノ邸」が完成した。

クノ邸.jpg

「クーノ邸」は、ハーゲン市長の「ウィリアム・クーノ」の自宅である。

1912年以降の「ペーター・ベーレンス」の建築は、次回に紹介します。

今回は、「Wikipedia」」他を参考に紹介しました。

☆参考

      ○ペーター・ベーレンス                ○ミース・ファン・デル・ローエ   
モダン・開拓者の一生   ポスターアート印刷    トゥーゲンハット邸

              


  





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