2018年11月28日

オーギュスト・ペレの建築U

前回は、1923年に、フランス、パリ郊外に完成した「ル・ランシーのノートルダム教会」まで紹介しましたので、今回はそれ以降に完成した作品を紹介します。

1937年に、フランス、パリのイエナ広場前に「土木事業博物館」が完成した。

土木事業博物館.jpg

この建物は、「イエナ宮」として建設され、当初は「土木事業博物館」として使用され、その後「経済社会環境評議会」本部として使用された。
この建物の内部にある楕円の階段は、古典主義的なプロポーションにこだわり、それを鉄筋コンクリートを使用して表現した非常にラインのきれいな階段である。

土木事業博物館2.jpg

その階段を2017年にファッションブランドの「プラダ」が、「ミュウミュウ2017秋冬ファッションショー」を開催して階段を「パープルエコファー」で覆って演出をした。

フランスの北西部にある「ル・アーヴル」の都市は、第二次世界大戦がはじまると同時にイギリス群の補給基地として利用された。しかし、1940年のドイツ軍の侵攻によってこの都市は、ドイツ軍に占領されてしまった。
1944年に「連合国軍」の「ノルマンディ上陸作戦」にともなって奪還して補給拠点とするために、集中爆撃を行ったことでこの都市は壊滅状態となってしまった。
1945年に、「ル・アーヴル」中心市街地の再建を「オーギュスト・ペレ」に依頼して、彼はこの都市の再建の中心的な役割を担うことになった。彼の都市計画案は、一部の例外を除いて碁盤目状計画として、それによって住宅のファサードを整然と並べることができた。

ルアーヴル全景.jpg

この「ル・アーヴル」の都市に、彼の最後の作品でもある「サン・ジョゼフ教会」が建っている。

サン=ジョゼフ教会.jpg

「サン・ジョゼフ教会」の内部に入ると、四本の柱を束ねて四隅に配置して、100m超の鐘楼を支えている。そのために天に向かってそびえたって行く巨大な吹抜けがあり、ステンドグラスの窓から太陽光が降り注いでくる。

サン=ジョゼフ教会3.jpg

「サン・ジョゼフ教会」は、1951年末に工事が着工したが、1954年に「ペレ」が亡くなったために、完成を観ることもなく、教会は1956年に完成した。

建築家「トゥルナン」との共同作品ですが、1953年に着工して、1958年に完成したのが、「ル・アーヴル市庁舎」である。

ルアーヴル市庁舎.jpg

「ル・アーヴル市庁舎」は、19階建て、高さ72mの鐘楼然とした塔の着工は、1954年に着工した。隣接する劇場は、1967年まで工事が続いていた。

「ル・アーヴル」都市は、1945年ー1954年に世界遺産に登録された。


今回のオーギュスト・ペレの作品紹介は、「Wikipedia」他を参考に記載しました。


☆ 参考


○オーギュスト・ペレ        ○建築形態論         

               






posted by 墨水 at 05:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月15日

オーギュスト・ペレの建築T

「オーギュスト・ペレ」は、1874年にベルギー、ブリュッセルの建設業者の家に生まれ、パリの「エコール・デ・ボザール」に入学したが、父が亡くなったために中退し、兄弟と共に建設会社を相続した。

1830年に、フランス、パリに「フランクリン街のアパート」が完成した。

フランクリン.jpg

「フランクリン街のアパート」は、自ら土地を探して、世界初の鉄筋コンクリート造の集合住宅を設計して建設した。最上階に「オーギュスト・ペレ」自身が住み、1階に「オーギュスト・ペレ」の事務所を構えた。その他の中間階は、賃貸住宅として貸し出している。この建物の特徴は、周辺の建物より大きな窓があり、アール・デコ調の模様があるが、構造部材の部分は無装飾になっている。さらには、屋上に庭園を設けている。

1906年には、フランス、パリに「ポンテュ街のガレージ」が完成した。

ポンテュ街のガレージ1.jpg

「ポンテュ街のガレージ」は、鉄筋コンクリート造で、彼が初めてコンクリート打放しに挑戦した建物であるが、現存していない。

1908年には、彼の事務所に後の建築界の三大巨匠のひとり「ル・コルビジエ」が籍を置いていた。「ル・コルビジエ」は、彼の影響を受けて、後にコンクリートの打放しや屋上庭園を作品に採用している。

1913年には、フランス、パリに「シャンゼリゼ劇場」が完成した。

シャンゼリゼ劇場.jpg

「シャンゼリゼ劇場」は、「ヴァン・デ・ヴェルデ」の計画を引き継いで完成させたために、彼の作品らしくない装飾のレリーフや、金ぴかの窓、大理石の研磨仕上げなど「ヴァン・デ・ヴェルデ」の設計のな残りではないかと思われる外観となっている。一説に、共作、又は、無理やり自分の作品にしたとも言われている。

1923年には、フランス、パリ郊外に「ル・ランシーのノートルダム教会」を完成させた。

ル・ランシーのノートルダム教会.jpg

「ル・ランシーのノートルダム教会」は、彼の代表作のひとつで、ゴシック建築空間と、近代合理主義的な直線が組み合わされた建築である。コンクリート打放し建築としては、「ポンテュ街のガレージ」が最初であるが、現存していないので、この建物が世界最古と言われている。

外部は、シンプルでアール・デコ調であるが、教会内部に入ると、全体が大きなステンドグラスの窓に囲われている。

ル・ランシーのノートルダム教会2.jpg

「ル・ランシーのノートルダム教会」の非常に細い丸柱によって支えられているのは、構造的に鉄筋コンクリート造の近代的な工法による所が大きい。

1924年から26年まで、「オーギュスト・ペレ」の事務所で、建築家「ベドジフ・フォイエルシュタイン」が働いていた。「ベドジフ・フォイエルシュタイン」は、1929年に来日して、「アントニン・レーモンド」と共同で、東京都中央区にある「聖路加病院」を完成させた。

聖路加病院.jpg

「聖路加病院」の尖塔は、「ル・ランシーのノートルダム教会」の影響を大いに受けている。しかし、アメリカの宣教師で、創立者の「ルドルフ・トイスラー」の怒りをかって、「アントニン・レーモンド」は、途中で解雇された。その後を「J・V・W・バーガミニー」が引き継ぎ、「ルドルフ・トイスラー」の故郷ボストンにある「マサチューセッツ総合病院」をイメージしてデザインされた。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆ 参考

○オーギュスト・ペレ        ○建築形態論         


               








posted by 墨水 at 18:30| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

ルイス・サリヴァンの建築

「ルイス・ヘンリー・サリヴァン」は、アメリカの建築家で、シカゴ派の代表的な建築家一人であり、「フランク・ロイド・ライト」、「ヘンリー・ホブソン・リチャードソン」ともにアメリカ建築の三大巨匠とされている。

「ルイス・サリヴァン」は、1856年にマサチューセッツ州ボストン生まれ、16歳で「マサチューセッツ工科大学」に入学したが、1年後にはフィラデルフィアに移り、建築家「フランク・ファーネス事務所」に入る。不景気で「ファーネス事務所」を退所し、1873年にイリノイ州シカゴに移った。鋼製ラーメン構造を採用した「ウィリアム・ル・バロン・ジェニー事務所」に入るが、「ジェニー事務所」を退所し、パリの「エコール・デ・ボザール」で1年間学んで、再びシカゴに戻ってきたときは、まだ18歳であった。
「ジョセフ・S・ジョンストン&ジョン・エデルマン事務所」で製図係として働いた後、1879年に「ダンクマール・アドラー」に雇われ、1年後には事務所の共同経営者となった。
1887年に、ニューヨーク州ニューヨークマンハッタンに「ベヤードビル」が完成した。後に「ベヤード・コンデクトビル」に改称された。
ベイヤードビル.jpg

「ベヤードビル」は、13階建ての高さ49.5mの建物で、白い釉薬のテラコッタで全面的に覆われたファサードのデザインの建物である。ニューヨークでの唯一の仕事であった。2000年に改装、修復工事を行っている。
1889年に、イリノイ州シカゴに「オーディトリアム・ビル」が完成した。彼らの代表作のひとつでもある「オーディトリアムビル」の最上階に彼らは事務所を構えた。

オーデリリアム2.jpg

「オーディトリアムビル」は、4200席の劇場だけでなくホテルやオフィス(17階建の塔を含む)、それに商業施設からなる大規模複合建築であった。このビルは、シカゴを文化的な都市として、1893年の「世界コロンビア博」への道を開くものであった。

1891年には、ミズリー州セントルイスに「ウェインライトビル」が完成した。

サリヴァン(ウェインライトビル).jpg

「ウェインライトビル」は、非常に古典的なギリシア建築の基壇、柱部、頂部といった3層構造のファサードのデザインで構成されている。彼は、この3層構造を非常に重要視して、高層ビルを設計する際にこのファサードの構成を採用した。

1892年には、ミズーリ州セントルイスに「ユニオントラストビル」が完成した。

ユニオントラス.jpg
左側建設当初、右側改装後
「ユニオントラストビル」は、 "U"字型プランで構成され、建設当初のファサードは、丸い窓と目立つアーチ状の入り口が特徴的であったが、1924年に改装されて円形枠の窓は取り除かれ、シンプルの四角形の窓になった。このビルは、140室の部屋がある「ホテルセントルイス」に改装された。この当時は、14階建てはセントルイスで一番高い建物であった。

1896年に、ニューヨーク、バッファローに「プルデンシャルビル」が完成した。その後。「ギャランティービル」に改称された。

ギャラクシービル.jpg

「プルデンシャルビル」は、「ウェインライトビル」と同様の3層構造のデザインをファサードに採用し、一層目の地上ゾーンは、大きく開いた窓があり、2層目のオフィスゾーンでは、垂直を強調したデザインで、3層目の上部には、アーチとカーブの古典的なデザインを採用している。

1904年に、イリノイ州シカゴに「カーソンピリースコット百貨店」が完成した。

サリバン(カーソンスコットビル).jpg

2007年に、「カーソンピリースコット百貨店」の閉鎖に伴って、「サリバンセンター」と名称を変更された。現在、このビルは「マディソン・キャピタル」社が所有していて、2008年から改修プロジェクトが始まり、2010年に改装作業が完了した。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考

○サリヴァン自伝    ○サリヴァン自伝     ○ルイス・サリヴァン
                GA52       アーカイテック 24


       





posted by 墨水 at 03:50| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする