2018年10月17日

ポール・ルドルフの建築U

今回は、前回に引き続いて1964年以降に完成した建物を紹介します。

1964年には、ニューヨーク州ガーデンシティに「遠藤製薬工場・研究所」が完成した。

エンド―製薬2.jpg

外壁にある円筒は、屋根を支える構造壁であり、ハイウェイを走る車窓から確認できるスケールとリズムを与えています。内部には、自然光による空間の演出をしています。現在は、キッチン製品等を開発しているの「ライフタイムブラインド」社の本社ビルになっています。

1966年には、マサチュウセッツ州ノースダートマスに「東南マサチュウセッツ工科大学」の「図書館棟」が完成した。

東南マサチュウセッツ大学1.jpg

この大学キャンパスは、自動車交通と学ぶ場の空間を融合させるために、「図書館棟」を中心に、野外劇場とテラスによって計画している。
「図書館棟」の完成後も引き続き工事を行い、1968年に、「スチューデント・ユニオン棟」が完成してキャンパスは完成した。

東南マサチュウセッツ大学2.jpg

写真奥に「スチューデント・ユニオン棟」の建物があり、右側手前に「科学・工学棟」の建物、その奥が図書館棟」の建物である。
1991年に「マサチュウセッツ大学」に合併し、現在は「マサチュウセッツ大学ダートマス校」になっている。

1966年には、ニューヨーク州ハミルトンに「コルゲート大学」に「クリエイティブ アートセンター」が完成した。

コルゲート大学.jpg

ここでも、自動車交通に配慮して、階高の高い車寄せを配置している。この建物の外部仕上げ材には、既存の古い石の壁に合わせた特殊なタイルブロックを使用して仕上げている。現在は、「コルゲート大学」の「ダナアーツセンター」の名称で使用されている。

1967年に、イリノイ州ウルバナに「クリスチャンサイエンス学生センター」が完成した。

クリスチャンサイエンス.jpg

この建物は、イリノイ大学の構内の交通の激しい角地に建っている。外壁は、コンクリート打放しの斫り仕上げである。正式名称は、「キリスト教科学機構ビル」のようである。

1972年には、マサチュウセッツ州ボストンに「ファーストチャーチための教会及び関連施設」が完成した。

ファースト教会2.jpg

当初からあった「ファーストチャーチ」は、1968年に火災によってほとんどを失い、残ったのは前面の壁と教会の塔であった。彼はそれらをシンボルとして使用して、それをファサードとして新しい教会を増築した。

1971年には、ノースカロライナ州リサーチ・トライアングルに「バローズ・ウェルカム社のビル」が完成した。

バローズウエルカム1.jpg

この建物は、その後名称を「エリオン・ヒッチング」ビルとして使用したが、最終的に「ユナイテッドセラピューテックス」に売却した。「ユナイテッドセラピューテックス」は、この建物の一部を残して解体した。

バローズウエルカム2.jpg

「ユナイテッドセラピューテックス」は、残った建物16万平方フィートを改装して、建物の歴史とそれにちなんで命名された科学者のための展示品を設置する予定で進めているようである。

1974年には、ニューヨーク州ナイヤガラフォールに「アール・W・ブライジズ図書館」が完成した。

ナイアガラフォールズ.jpg

この建物は、視覚的・多様性のための三角の形状を要していて、その内部は、3階分の吹抜け空間の上部より自然光が差し込むようになっていて、各階のフロアーを明るく照らし落ち着いた雰囲気を醸し出している。この図書館の名前は、一時的にニューヨーク州知事を務めた政治家「アール・W・ブリュージュ」から来ている。
今回は、「Wikipedia」、「現代建築家シリーズ ポール・ルドルフ」、「 a+u ポール・ルドルフ」他を参考に紹介しました。

☆参考

  ○ポールルドルフ    ○ポール・ルドルフ     ○現代建築家シリーズ
    現代建築家図書     建築ドローイング     ポール・ルドルフ

         





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2018年10月01日

ポール・ルドルフの建築T

ポール・ルドルフは、1918年にアメリカ、ケンタッキー州の小さな街エルクトンに生まれた。
1935年に、「アラバマ工科大学(現在オウバン大学)建築学科」に入学し、1940年に卒業した。1年間「ヴァン・キューレン事務所」で働き、1941年には、「ハーバード大学大学院建築学科」に入学した。
1943年に、第二次世界大戦のために「マサチューセッツ工科大学」に送られ、その後ニューヨーク、ブルックリンの海軍工廠に配属された。終戦後の1945年に「ラルフ・トウィッチェル」のパートナー建築家として事務所を開設した。
1946年に、戦争で中断していた「ハーバード大学大学院」に戻った。
1947年に、学位を取得し、トラベル奨学金で1948年から1949年にかけてヨーロッパを旅行した。

1946年から住宅建築に携わって来て、1951年の「コックーン・ハウス」や「ウォーカー・ゲスト・ハウス」で一躍彼の建築家としての地位を確立した。(住宅建築で紹介

1958年に、フロリダ州サラサタに、「リバーヴュー高等学校」が完成した。

リバーヴュー高等学校2.jpg

彼が、生まれた地で住宅以外の初めての建築であった。スチールフレームにシリコン防水したコンクリートブロックと大きなガラスで構成された建築で、これらの素材を使用することで建設コストの大幅な削減に貢献した。しかし、保存を望んだ人々をもいたが、2009年に解体されて今はない。

1958年に、フロリダからニューヘブンに建築事務所を移して、この年に、若干39歳にして名門「エール大学」の建築学部長に任命された。

1959年に、フロリダ州サラソタに「サラソタ高等学校」が完成した。

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この建物は、規則正しく並んだRCの柱に、チャンネル型のPC梁を乗せて、その間をコンクリートブッロクと大きなガラスで埋め、その外側全面をサンシェードを繰り返し掛けられた構造デザインで構成されている。

1959年に、マサチューセッツ州ウェルズレイに、「ウェルズレイ大学アートセンタ」が完成した。

アートセンター.jpg

彼は、この作品に対して、「私の最初の大きな作品であり、フロリダの外での最初の建物であり、又、私のアーバンデザインに対する最初のスタディである」と言っている。この建物は、ボストン郊外の古い町にあり、キャンパス全体がゴシック調の建物で支配されていたので、必然的にヨーロッパの都市の建築空間に対して現代的な表現を試みたが、折衷主義であると批判を受けた。

1960年には、マサチューセッツ州ボストンに、「ブルークロス・ビルディング」が完成した。

ブルークロスビル.jpg

この建物の特徴は、屋上の機械室より各階に降ろす「ホット、コールド、リーターン」の3本の空調ダクトを全て外部の柱に持ってきたことで、天井内ダクトの高さを小さくすることで、階高を低く抑えることが出来た。それによって、階数を2階分増やすことが可能になった。

1962年に、コネチカット州ニューヘヴンに「パーキング・ガレージ」が完成した。

パーキングガレージ.jpg

この駐車場は、鉄筋コンクリートの打ち放しの仕上で、駐車場外部周りの立ち上りと、各階のスラブを支える構造柱を曲面にして、リズミカルな配列にすることで、駐車場全体に優雅な印象を与えている。

1963年には、コネチカット州ニューへヴンに「エール大学芸術・建築学部」が完成した。

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この建物は、彼の代表作品のひとつである。この建物のファサードは、垂直に打ち込んだ縦目地の廻りのコンクリート面をはつり仕上げすることで、垂直性を強調した趣きのあるデザインに仕上がっている。
また、周囲の建物の多くが、異なったレベルの高さであるために、それぞれの高さに合わせるために、大きなセントラルスペースを設けていることが特徴的である。

エール大学断面.jpg

彼は、このセントラルスペースについて、「この建物のまわりにはあまりも多くの異なった高さがあった」から、「このいろいろな高さを調整するために大きなセントラルスペースが必要であった」ので設けたと言っている。それが、結果的にアクティブな創造的空間を作り、建築と芸術の勉強をする人同士にとってのコミュニケーションが豊かになるような空間を演出している。

次回に、1964年以降の「ポール・ルドルフの建築」を紹介します。

今回は、「Wikipedia」、「現代建築シリーズ ポール・ルドルフ」他を参考に紹介しました。

☆参考


○ポール・ルドルフ    ○ポール・ルドルフ   ○ポール・ルドルフの  
(現代建築家シリーズ)      の建築     フロリダハウス       

       



posted by 墨水 at 20:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする