2018年09月18日

アントニ・ガウディの建築W(サグラダ・ファミリア)

今回は、「アントニ・ガウディ」の未完の建築「サグラダ・ファミリア」を紹介します。

「サグラダ・ファミリア」は、カタロニア・モダニズム建築の代表作品で、バルセロナ市のシンボルでもある。この建物は、綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな構造のアーチや、鐘楼に据えられた彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。
 この教会は、贖罪教会のために資金調達を信者の喜捨に頼ってきたために、資金不足により工事が遅々として進まない状況にあった。しかし、資金調他も観光客の増加等によって改善し、9代目の設計責任者である「ジョルディ・ファウリ」は、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成を予定していると発表した。


「サグラダ・ファミリア」は、宗教書専門店主の「ジョゼップ・マリア・ボカベージャ」の個人の寄付によって贖罪教会の建設を始めたことから始まった。彼は、これのために「サン・ホセ教会」を設立した。最初は、建築家「フランシスコ・ビリャール」が無償で設計を引き受け、1882年3月19日に工事が着工したが、意見の対立から1883年に「ビリャール」は、設計業務から退いた。その後を引き継いで設計したのが「アントニ・ガウディ」であった。彼は、設計を初めから練り直し、1926年に亡くなるまでライフワークとして「サグラダ・ファミリア」の設計・建築に取り組んだ。「 ガウディ」は、模型と、紐と錘を用いた実験道具を主に使って「サグラダ・ファミリア」の構造を検討したとされる。

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「ガウディ」の死後、1936年に始まったスペイン内戦の戦禍により、「ガウディ」の構想を伝える資料が散逸したことで、建設を続けるべきかどうかの議論があった。しかし、職人による口伝えや、外観の大まかなデッサンなどの残されたわずかな資料を元に、その時代の建築家が、「ガウディ」の設計構想を推測するといった形で引き続き建設が行われた。

東側の「生誕のファサード」では、「キリストの誕生」から「初めての説教を行う」までの逸話が彫刻によって表現されている。

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「生誕のファサード」は、3つの門によって構成され、「中央の門」を構成する柱の土台には、変わらないものの象徴として「亀」が彫刻され、中央の柱の土台には、リンゴをくわえた「蛇」が彫刻されている。また、門の両脇には変化するものの象徴として「カメレオン」が配置されている。「中央の門」では、「受胎告知」、「キリストの降誕」、「祝福をする天使」などが彫られていて、「左の門」では、「聖家族のエジプトへの逃避」、「父ヨセフの大工道具」などが彫られ、「右の門」には、「母マリア」、「イエスの洗礼」などが彫られている。

西側の「受難のファサード」には、「イエスの最後の晩餐」から「キリストの磔刑」、「キリストの昇天」までの有名な場面が彫刻されている。

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東側とは全く異なり、現代彫刻で「イエスの受難」が表現されており、左下の「最後の晩餐」から右上の「イエスの埋葬」まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。そして鐘楼を渡す橋の中央に「昇天するイエス」が配置されている。


創建当初は、ヨーロッパの教会建築の伝統的な工法の組積造で行われて来たが、現在では一部にRC造が導入され、こうした工法の変化に伴って建築現場から離れた彫刻家や職人もいた。また伝統的な工法からRC造に変えた事を批判する建築家や彫刻家も多く存在することになったが、「ガウディ」没後100周年目の2026年には完成すると公式発表された。

聖堂内部に進むと、これまでの大聖堂のイメージと全く異なり、非常に明るく、壮大な空間が目に入っていきます。

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「大聖堂」と言うと神秘的で薄暗いイメージがありますが、「サグラダ・ファミリア」の内部は明るく、様々な色の光で照らされて光輝いた空間を演出している。「ガウディ」は、聖堂内部を「万華鏡」のような美しい空間をイメージして造ったようである。さらに、聖堂内に栗林する高い柱は、聖堂建設に伐採した「プラタナスの木」をイメージして造っていて60mの高さである。

この教会の地下には、「地下聖堂」があり、「サグラダ・ファミリア」の中で最も古く建設された場所である。「ガウディ」が「サグラダ・ファミリア」の建設に携わったときには、「地下聖堂」の建築は既に始まっており、引き継ぎいで建築をして1890年に完成させた。

サクラダファミリア地下1.jpg

この地下には、創始者である「ジョゼップ・マリア・ボカベージャ」と設計者である「アントニ・ガウディ」の墓がある。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考

○ガウディ建築入門     ○ガウディの言葉     ○ガウディ完全ガイド

        

○ガウディの建築   ○サグラダ・ファミリアの真実  ○ガウディ建築の旅

         







posted by 墨水 at 18:30| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月08日

アントニ・ガウディの建築V

1914年に、スペイン、サンタ・コロマ・ダ・サルバジョに完成した「コロニア・グエル教会地下聖堂」(下の写真)がある。

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「コロニア・グエル」とは、事業の繊維工場を中心にした工業団地のことで、その工場で働く労働者たちが職場近くに住めるように、敷地内に住居や学校、病院なども作られれ、この団地の礼拝用に建てられたのが「コロニア・グエル教会地下聖堂」である。(「グエル」の表記は、カスティーリャ語読みで、「Wikipedia」の表記にならいました。)

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「地下聖堂教会」には、放物線型のステンドグラスから時間ごとに充分な光が差し込み、教会内部を浮かび上がらせています。教会上部が未完成なので時間が停止した状態で時が過ぎているために、「ガウディ」の作品として堪能することができる。

1914年に、スペイン、バルセロナに完成した「グエル公園」(下の写真)がある。

グエル公園2.jpg

この公園は、1900年から1914年の間に建設された分譲住宅地であったが、買い手がつかず、「グエル伯爵」がなくなると工事は中断して、公園として市に寄贈された物である。現在は、「ガウディ」が購入して一時住んだこともある家は、「ガウディ記念館」(下の写真)として公開されている。

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この建物は、1906年に「ガウディ」の弟子「フランセスク・ベレンゲール」のモデルハウスとして完成させたが、買い手がつかなず、「ガウディ」が購入し、「サグラダ・ファミリア」に移り住むまでの20年近くここで暮らした。
「グエル公園 」ラ・ナトゥーラ広場は、下部に回廊を設けて展望のよい集会広場として設けられました。

グエル公園3.jpg

この広場は、「ギリシア劇場」と名付けられて、初期の計画では、屋外劇場として演劇や演奏会なども催せる居住者の憩いの場となる予定であった。広場は、破砕タイルで装飾された全長110mの波打った客席を兼ねたベンチで縁取られています。ベンチに施されたトレンカディス(破砕タイルのモザイク)は変化に富み、具象的、抽象的なコラージュが複雑に組み合わされています。
分譲住宅として計画したが、買い手がつかず、「ガウディ」と「グエル伯爵」で1棟づつ購入したのが、「ガウディ」のモデルハウスと「グエル」の購入した農家を改築した「グエル邸」(下の写真)であった。


グエル公園4.jpg

この住宅は、通称「ララードの家」と言われていて、1930年初頭のスペインの第二共和国時代に「小学校」として使用され、現在も引き続き「市立小学校」として使用されている。

今回は、「Wikipedia」、「ポータルガウディ」他を参考に紹介しました。

次回は、「サグラダ・ファミリア」を紹介いたします。

☆参考

     ○ガウディ建築入門       ○ガウディ完全ガイド

            ○○

     ○ガウディ           ○建築家ガウディ全語録

             


   

posted by 墨水 at 12:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする