2018年08月28日

アントニ・ガウディの建築U

1900年代以降の「アントニ・ガウディ」の建築を紹介します。

1900年に、スペイン、バルセロナに「カサ・カルベット」(下の写真)が完成した。

カサカルベット.jpg

「カサ・カルベット」は、繊維業者「ペレ・M・カルベット」の依頼によって設計し、外装に使用された石、セラミック、鉄などの素材感を生かして、無駄な色を一切排除した建物である。建物の構造は、地下1階と地上5階で、1階は所有者の業務用スペース、2階は所有者の居住地、3階〜5階は賃貸住宅になっている。

1906年に、スペイン、バルセロナに「カサ・バトリョ」(下の写真)が完成した。

カサバトリョ.jpg

「カサ・バトリョ」は、1877年に建設された建物で、大繊維業者「ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバス」の依頼を受けて、1904年から1906年にかけて邸宅の改築を行った。この改築でガウディは、既存の建物に5階と地下室を加えた。さらに、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直して、各部屋には曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラス等の装飾を施した。(下の写真)

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「カサ・バトリョ」の2階のサロンの部分で、曲線によってゆがんだような窓から光りが差し込み、外部を眺めることができる。オーナーが変わってからテーブルが無くなり、天井のランプも「ガウディ」が選んだものでないものがぶらさっがているそうです。(Arquitectoより)


1907年に、スペイン、バルセロナに「カサ・ミラ」(下の写真)が完成した。

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「カサ・ミラ」は、外観に直線部分がないデザインになっているが、この波打つ曲線は地中海をイメージして作られている。一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という素材で、波に漂う海藻のような柔らかな造形を生み出し作られている。内部空間においても、天井も壁も波うちした曲線で構成された空間で、海底にいるような奥深さのある雰囲気に包まれるようである。この建築物は、芸術性をもった彫刻のようで、実用性に欠けるという批判もあった。建設当時のバルセロナ市民は、「カサ・ミラ」の醜悪な建物を「石切場」というニックネームをつけたよんだが、今日ではバルセロナを代表する歴史的建造物となっている。現在内部は、「ガウディ建築」に関する博物館になっている。広さが約300uで全8室の賃貸住宅があるが、現在でも4世帯が居住している。

1913年に、スペイン、アストルガに「アストルガ司教館」(下の写真)が完成した。

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旧「司教館」は、19世紀の火災によって破壊されると、「グラウ司教」は、友人の「ガウディ」に設計を依頼し、1889年に着工した。1893年に「グラウ司教」が死去すると、「ガウディ」と議会との意見の相違により辞任した。「ガウディ」の辞任後、建設は数年間にわたって中断されたが、1907年から「リカルド・ガルシア・ゲレタ」によって工事は再開され、1913年に完成した。
1930年代後半のスペイン内戦の間、この「司教館」は「ファランヘ党」の地元支部として使用されていた。 1956年になって、カタルーニャ人建築家「ジョゼップ・カステイトルト」によって修復作業が行われ、「司教の邸宅」として使用された。その後「宗教美術博物館」として使用され現在に至っている。

1914年以降のガウディの建築作品は、「アントニ・ガウディの建築V」で紹介します。
今回は、「Wikipedia」、「図説ガウディ」他を参考に紹介しました。


☆参考
○「図説ガウディ」

○「ガウディと井上雅彦」


○「バルセロナのガウディ建築案内」


○「ガウディ建築家の見た夢」











posted by 墨水 at 09:35| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月18日

アントニ・ガウディの建築T

「アントニ・ガウディ」は、1852年スペイン、カタルーニャ地方のタラゴナ県に,父方・母方ともに銅細工職人という家系に生まれた。これが、彼の空間を把握するという、自らの建築家としての素地となったと考えていた。母方の実家のあるレウスで暮らし、「ラファエル・パラウ」の小学校に入学し、その後、「フランセスク・バランゲー」に移った。1863年には、「ピアリスト修道会」の学校に入学した。1871年にバロセロナに住まいを移し、1873年に「バロセロナ建築大学」に入学して建築を学んだ。学業と並行していくつかの建築設計事務所で働き、バルセロナのシウタデラ公園の装飾やモンセラートの修道院の装飾にもかかわった。
「ガウディ」は、1878年に、建築士の資格を取得し、 同年、「パリ万国博覧会」に出展する「クメーリャ手袋店」のために「ショーケース」(下の写真)をデザインした。

ショーケース3.jpg

この作品を通じて「ガウディ」の才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪「エウゼビ・グエル」であった。「グエル」は、その後40年間のあまりパトロンとして「ガウディ」を支援した。これから、紹介する「グエル邸」、「コロニア・グエル教会地下聖堂」、「グエル公園」などの設計を依頼した。(「グエル」の表記は、カスティーリャ語読みで、「Wikipedia」の表記にならいました。)
1883年に、「サグラダ・ファミリア」の専任建築家に推薦された。

1885年に、スペイン・カンタブリア州、サンタンデールに「エル・カプリーチョ」(下の写真)が完成した。

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「ガウディ」は、同級生だった「カスカンテ」に、距離的に遠いためにサンタデールにあるこの建物の監理を任せた。この別荘は、15m×36mのプランで、一部半地下、一層に屋根裏部屋がつくという構成で、一角には塔が建ち、全体としてアラブ的な雰囲気を醸し出している。 外壁にはレリーフ付のセラミックタイル張り、屋根は石綿スレート板で葺かれていたが、現在はスペイン瓦に葺き替えられている。

1889年に、スペイン、バルセロナに「カサ・ビセンス」(下の写真)が完成した。

カサビセンス3.jpg

「カサ・ビセンス」は、レンガやタイル工場の社長であった「マヌエル・ビセンス」の依頼で設計をした。1895年に「マヌエル・ビセンス」が死去すると、1899年に「アントニオ・ジョベル」医師の手に渡り、改修および増築を行った。1969年にスペインの歴史芸術モニュメントに認定され、2005年にはユネスコの世界遺産に登録された。2007年に売りに出されて、2014年に「モラバンク」が購入して、2016年から一般公開している。

1884年に、スペイン、バルセロナに「エウゼビ・グエイ」の依頼による「グエイ別邸」と「門番小屋と厩舎」(下の写真)が完成した。

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「グエイ別邸」の入口中央に鉄製の門があり、その両脇に「門番小屋と厩舎」がある。「門番小屋」は、八角形で、上部に半球型のドームがのっている母屋のような部分があり、その両側に立方体の形の建物が位置していた。現在では、「門番小屋と厩舎」のみが現存している。

1889年に、スペイン、バルセロナに「グエイ邸」(下の写真)が完成した。

グエイ邸.jpg

「グエイ邸」は、地下1階と地上4階、さらに屋上を持つ大きな建物で、下部には大きな放物線を描く2つの印象的な扉、前面に張り出したバルコニー部分などで重厚な印象を与えている。一方で上部はすっきりとした印象で、建物の屋上部分にはジグザクの三角形のラインのカラフルなオブジェが多数あります。

グエイ邸2.jpg

屋上にあるオブジェは、煙突や採光塔、換気塔の19本と、2階サロンへ続く吹き抜けの頂塔の1本である。これらのオブジェは、1988〜1992年にかけて修繕された。


1982年に、スペイン・レオンに、完成した「カサ・デ・ロス・ボティネス」(下の写真)の建物がある。

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「カサ・ボティネス」は、「ガウディ」が「アストルガ司教館」での仕事を終えるころに、「グエル」と仕事上のつきあいのあった商社のオーナーから正式に依頼を受けて、僅か10ヶ月で建物を完成させた。商社のオーナーは、「シモン・フェルナンデス」と「マリアノ・アンドレス」であり、彼らが働いていた生地屋「ボティネス」の後を継いだ姪と「シモン・フェルナンデス」結婚してそのまま商社名に使用した。
「ガウディ」は、1893年に建設中の「アストルガ司教館」の外壁と同じ地元産の灰色の花崗岩を外壁に使用した。
1929年に、「レオン貯蓄銀行」が「カサ・ボティネス」を買い、1950年代に「ガウディ」のデザインを全く無視するような修復工事を行い物議を醸し、1990年に「レオンの貯蓄銀行」が他の貯蓄銀行を吸収し「カハ・エスパーニャ」となった後に、元の「ガウディ」のデザインに戻す修復工事を行った。2017年に美術館として公開して現在に至っている。

1900年以降のガウディの建築は、「アントニ・ガウディの建築U」で紹介します。

今回は、「Wikipedia」、「図説ガウディ」他を参考に紹介しました。

☆参考

○「図説ガウディ」


○「ガウディと井上雅彦」


○「ガウディ」


○「井上雅彦とガウディ」







posted by 墨水 at 04:00| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月06日

フィリップ・ジョンソンの建築U

今回は、前回に引き続き「フィリップ・ジョンソン」の建築のうち1970年以降に完成した作品を紹介いたします。

1974年に、テキサス州、フォートワースに「ウォーター・ガーデン」(下の写真)が完成した。

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「ウォーター・ガーデン」は、ダウンタウン再開発計画の一環として建設された都市型公園で、アメリカの造園家「ロバート・ザイオン」との共同設計である。注目は、12mも掘られた「アクティブ・ガーデン」と呼ばれる噴水で、不規則な形に並べられた階段が特徴的で、噴水の中の階段を歩いて見られるようになっている。水が流れていく様子を間近で見ることができて、暑さが厳しいテキサスのオアシス的存在になっている。

1976年には、テキサス州ヒューストンに「ペンゾイル・プレイス」(下の写真)が完成した。

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「ペンゾイル・プレイス」は、二つの台形のタワーで構成されており、その間に35mの高さのガラスで囲まれた中庭がつながっている。二つのタワーの外観は、暗い青銅色のガラスで構成されている。

1984年に、ニューヨーク市マンハッタンに「AT&Tビル」が完成した。

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ポスト・モダニズムへの展開を見せたこの「AT&Tビル」は、37階建ての高さ197mのビルである。しかし、このビルは、1993年に「ソニー」に売却され「ソニー・ビルディング」と名称が変更された。その後、2013年に、「ソニー」はこのビルを売却してテナントして使用してきたが、2016年にマディソン・アベニューに移転したために、オーナーはこのビルを現在のオーナーに売却した。現在は、「550 マディソン・アベニュー」の名称に変更された。

1984年に、ペンシルベニア州ピッツバーグに「PPGプレイス」(下の写真)が完成した。

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「PPGプレイス」のオーナーは、1883年に設立されたアメリカで最初のガラス製造会社の「PPG」社である。その社屋ビルであるために、特殊なミラーガラスを使用したファサードのデザインである。

1974年に、テキサス州ヒューストンに「バンク・オブ・アメリカセンター」(下の写真)が完成した。

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「バンク・オブ・アメリカセンター」は、ヒューストンのダウンタウンに建設されたポストモダン建築の最初の建築である。低い部分は21階建てで、建物全体では56階建ての高さの建物である。

1986年に、ニューヨークマンハッタンに「リップスティク・ビル」(下の写真)が完成した。

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「リップスティク・ビル」は、34階建て高さ138メートルのビルで、その色と形から「リップステック」と名付けられた。このビルの構造は、三段階にセットバックされている。楕円形の形状のビルの土台部分は、二階分の高さの列柱が取り巻いており、外壁は花崗岩(インペリアル・レッド)と金属で構成されている。この曲面状のファサードは、光を様々な方向に反射するようにできている。

1986年には、イリノイ州シカゴに「190 サウス・ラサール・ストリート」(下の写真)が完成した。

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「190 サウス・ラサール・ストリート」は、現在「アメリカ銀行ビル」として使用されています。40階建ての高さ175メートルの超高層ビルで、上部の切り立った屋根は、1939年解体されてしまった「フリーメーソンの寺院」を参照にデザインされています。

1996年に、スペイン、マドリードに「プエルタ・デ・エウローパ」(下の写真)が完成した。

プエルタデエウローパ.jpg

「プエルタ・デ・エウローパ」は、「ヨーロッパの門」の意味があり、マドリードを南北に貫くカステジャーナ通りの北端近くにあり、通りに覆いかぶさるように連なった2つのタワーは、26階建ての高さ115mの建物である。このツインタワーは、お互いの内側に15°傾いて建っている。この独特のデザインで異彩を放つこの建物は、今もマドリードを代表するランドマークとなっている。

今回は、「wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考

○「ガラスの家」


○「ガラスの家」


○「デザインパートナー」






posted by 墨水 at 05:05| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする