2018年05月18日

ピーター・アイゼンマンの建築

「ピーター・アイゼンマン」は、1932年にアメリカ、ニュージャージー州に生まれ、「コーネル大学」を卒業して、「コロンビア大学建築大学院」に入学し、1957年に卒業した。
卒業後、「ハーバード大学」、「プリンストン大学」、「オハイオ州立大学」の教授を歴任した。
1968年に、ニュージャージー州に「住宅第1号」を完成させ、次々と「住宅シリーズ」を完成させた。
1980年には、自分の設計事務所を開設した。
1989年に、オハイオ州コロンバスに「オハイオ州立大学・ウェクスナー芸術センター」(下の写真)を完成させた。

オハイオ州立大学2.jpg

この建物は、教師と理論家の両方で知られていた彼が、最初に設計した主要な公共建築物であった。デザインには、建築家脱構築主義的な意味と、調和した不完全感を建物に与えるために、大きな白い金属のグリッドを建物の脇に設置した。
1993年には、オハイオ州コロンバスに「グレーター・コロンバスコンベンションセンター」が完成した。西面のファサードは、個々の建物が立ち並んでいるようなファサードをしている。(下の写真)

コンベンションセンター.jpg

オープン後、コンベンションスペースの需要が増えたために、2001年に北側部分に増築施設が追加されオープンした。増築施設のデザインは、オリジナルデザインの要素を暗示しているが、独自のデザインをもっている。
1996年に、オハイオ州シンシナティに、「シンシナティ大学・アロノフ・デザイン芸術センター」(下の写真)が完成した。

シンシナティ大学.jpg

「アロノフ・デザイン芸術センター」は、2つの建物の間につなぐように建てられた建物である。傾斜したような外観が、彼のデザインの特徴でもある。

2005年には、ドイツ、ベルリンに「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(下の写真)が完成した。

ベルリン記念碑.jpg


ドイツは、ベルリンのブランデンブルク門の南側に開設されたこの記念碑は、1万9073uの敷地にグリッド状に並ぶ2,711基のコンクリート製の石碑である。厚み0.95m・横幅2.38mのブロックが、多様な高さ(0m〜約4.5m)で連なるように並べられている。この地下には、ホロコーストに関する情報センターがあり、イスラエルの記念館「ヤド・ヴァシェム」が提供したホロコースト犠牲者の氏名や資料などが展示されている。この場所は、プロイセン王国からドイツ帝国を経てナチス・ドイツに至るまでの時期には、政府高官の官邸や官庁が立ち並んでいた。大戦のベルリン市街戦で破壊された後は、廃墟が残り、1960年代にはベルリンの壁建設によって廃墟が撤去され広大な無人地帯となっていた。
2006年には、アメリカ、アリゾナ州グレンデールに「ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム」(下の写真)が完成した。

フェニックススタジアム.jpg

このスタジアムは、2006年の開場時には、「カーディナルス・スタジアム」の名称であったが、同年に「フェニックス大学」の命名権取得によって現在の名称となった。この建物自体は、公共の施設である。
スペイン、ガルシアの「ガルシア文化都市」(下の写真)は、1999年に開始して、現在も進行中のプロジェクトである。

文化都市.jpg

当初、文化都市は、図書館、新聞図書館、音楽劇場、ガリシア歴史博物館等を予定していたが、2005年の政権交代後、見直しを行い、2011年にオープンしたのは、「図書館」と「公文書館」の二つの建物とされているが、実際に公開されているのは、「図書館」と「展示室」、そして「カフェ」のみのようである。


今回は、「ピーター・アイゼンマン」HP、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考



posted by 墨水 at 13:24| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする