2018年02月28日

内井昭蔵の建築U

内井昭蔵は、1933年に東京市神田区に生まれ、1952年に早稲田大学第一理工学部建築科に入学し、吉阪隆正らの指導を受け、1956年に早稲田大学を卒業し、早稲田大学大学院に入学した。
1958年に大学院を卒業して、「菊竹清訓建築事務所」に入所した。
1967年には、「菊竹清訓建築事務所」を辞め、「内井昭蔵建築設計事務所」を設立した。
1971年の「北山本門寺客殿」から1992年の「高岡市美術館」は、前回紹介しましたので、今回はその後の主な建築を紹介します。
1994年に、愛知県高浜市に「高山市やきものの里かわら美術館」(下の写真)を完成させた。

かわら美術館2.jpg

「三州瓦」の産地の中核施設のために、屋根に「三州瓦」を用い、壁や床にも使用している。当初は、焦げ茶色の外壁であったが、現在は淡い色に落ち着いている。
1994年、石川県七尾市に「石川県七尾美術館」(下の写真)が完成した。

七尾美術館.jpg

この建物は、「建物を周囲の景観になじむように低く、また広場と繋がりのあるつくりに」することをコンセプトに、設計された。また、同時に「七尾市芸術とやすらぎの広場」として、写真手前の池を中心にした広場も完成している。
1994年に、長野県諏訪市に「サンリツ服部美術館」(下の写真)が完成した。

サンリツ服部美術館.jpg

この建物の前面道路に隣接する小河川の度々の氾濫位に対処するように1階をピロティにしている。打ち放しコンクリートにこだわり完成したが、タイルはもう少し大きいものを考えていたようである。
1996年には、石川県金沢市に「石川県金沢港大野からくり記念館」(下の写真)が完成した。

からくり記念館2.jpg

この建物は、木造建築にこだわって造り、窓の部分は、「高山寺」の格子窓のイメージを想定してデザインした。
1996年に、群馬県富岡市に「群馬県立自然史博物館・かぶら文化ホール」(下の写真)が完成した。

群馬県立自然史博物館.jpg

この建物は、造成し切土部分を活かして建てられているので、三角形の断面形状になっている。手前の広場から奥に斜面になっているのが、形状に表れている。
1998年には、大分県大分市に「大分市美術館」(下の写真)が完成した。

大分市美術館.jpg

この建物が建っている敷地は、丘陵地になっているために、それぞれの建物を自然の丘陵地を活かして建てられていて、出来るだけ自然をいじらないことをコンセプトに設計している。それでも建物は孤立しないように、連続するように考慮している。
1998年に、富山県射水市に「新湊市博物館(現:射水市新湊博物館)」(下の写真)が完成した。

新湊市博物館.jpg

この建物の用途は、「古い地図の博物館」であるために、「建物で地図のもとになる地形を表現する」ことをコンセプトに設計されている。

今回は、「内井昭蔵の思想と建築」、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考




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2018年02月01日

内井昭蔵の建築T

内井昭蔵は、1933年に東京市神田区に生まれ、1952年に早稲田大学第一理工学部建築科に入学し、吉阪隆正らの指導を受け、1956年に早稲田大学を卒業し、早稲田大学大学院に入学した。
1958年に大学院を卒業して、「菊竹清訓建築事務所」に入所した。
1967年には、「菊竹清訓建築事務所」を辞め、「内井昭蔵建築設計事務所」を設立した。
1971年に、静岡県富士宮市に日蓮宗大本山の「北山本門寺客殿」(下の写真)が完成した。

北山本門寺客殿.JPG

外壁は、コンクリートの打放しであるが、日本的要素を出すために、型枠に羽目板を張り、目地は出っ張るように隙間を開けて打設している。屋根は、木造下地の構造で、壁が鉄筋コンクリートの混構造である。
1976年には、山梨県南巨摩郡身延町に「身延山久遠寺宝蔵」(下の写真)が完成した。

身延山久遠寺宝蔵.jpg

久遠寺の宝蔵は、二棟二倉の「双倉(ならびくら)」である。鉄筋コンクリートの2階建てで外装は、アルキャストの松煙仕上げである。(生涯一設計士・佐々木繁ブログより)
1980年には、新潟県新発田市に「新発田市民会館・公民館」(下の写真)が完成した。

新発田市民会館.JPG

この建物の外観は、コンクリート打ち放し仕上げで、内部のホールの形状が外部の形状のアール表れたデザインである。
1984年に、沖縄県浦添市に「浦添市立図書館」(下の写真)が完成した。

浦添市立図書館.jpg

この建物は、沖縄県の重要文化財「中村家」からはパティオを囲むトラバーチン風の屏風(ひんぷん)を、琉球王家の墓「玉綾(たまうどん)」から霧妻屋根をヒントにデザインされた。
1986年には、東京都世田谷区に「世田谷美術館」(下の写真)が完成した。

世田谷美術館.jpg

この美術館は、「生活空間としての美術館」、「オープン化された美術館」「公園美術館」の3つのコンセプトで作られた美術館であり、彼の「健康な建築」のひとつでもある。
1987年には、新潟県新発田市に「蕗谷虹児記念館」(下の写真)が完成した。

蕗谷虹児記念館.JPG

この記念館は、「新発田市民文化会館」(写真左の建物)と同じ場所に建っている。文化会館に合わせるために外壁は、コンクリート打ち放しに横目地にb器質タイルを張っている。建物は、ビザンチン様式を取り入れドーム屋根を銅板葺で仕上げている。
1989年に、愛知県碧南市に「丸栄陶業本社屋」(下の写真)が完成した。

丸栄陶業本社屋.jpg

現在は、「栄四郎瓦」に社名を変更している。当初の本社屋は、写真右上で事務所棟、食堂棟、ギャラリー棟の3棟にいぶし瓦を3種類使用して建てている。その後、改修されたようで、展示室のドーム型の建物は、農家のような形状に、事務所棟には外部に跳ねだした廻り階段が設置されるなど改修されている。
1989年に、沖縄県浦添市に「浦添市美術館」(下の写真)が完成した。

浦添美術館.jpg

奥の八角形の屋根が、展示室で間接光を合理的に導くためにデザインされた形状である。それがいくつもつながって構成されている。
1993年には、富山県高岡市に「高岡市美術館」(下の写真)が完成した。

高岡市美術館.jpg

この建物は、「大地から生えてきたような建築」で自然を再現したい思いから分散して配置し、文化広場のシンボルを中心に各施設を回廊でつないだ構成になっている。

今回は、「内井昭蔵の思想と建築」、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

次回、この年代の続きの建築を紹介します。

今回は、ここまで!!

☆参考





posted by 墨水 at 05:52| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする