2017年06月23日

リチャード・マイヤーの建築T

リチャード・マイヤーは、1934年にアメリカ、ニュージャージー州ニューアークに生まれた。
1957年にコーネル大学を卒業し、1959年に「ディヴィス・ブロディ・アンド・ヴィシニェフスキー事務所」に勤務し、1960年「SOM」に勤務、1961年からは、「マルセル・ブロイヤー・アンド・アソシエイツ」に勤務し、1963年にニューヨークに事務所を開設した。
1983年に、アメリカ、ジョージア州アトランタに「ハイ美術館」(下の写真)が完成した。

ハイ美術館.jpg

外観及び内装共に白の透明性のある空間を実現した。室内のアトリウム空間は、「フランク・ロイド・ライト」が設計した「グッゲンハイム美術館」の中央空間にインスパイアされて設計した。アトリウム空間のランプシステムは、中央空間の循環とギャラリー空間の分離によってアトリウム壁に窓を設けて自然光を取り入れ光の空間をつくった。又、窓から街の景色を眺めることもできるよう設計された。
1985年に、ドイツのフランクフルトに「工芸美術館」(下の写真)が完成した。

工芸博物館.jpg

マイン川のほとりにある新しい文化地区の一部として設計された。ここでは、白のホーロー鋼板の外観と無数の窓の配置によって内部に明るい空間を構成させている。
1992年に、フランスはパリのセーヌ川畔に「カナル・プリュス本社ビル」(下の写真)が完成した。

カナルプラス本社ビル.jpg

白のホーロー鋼板の外壁とガラス開口部で構成されたのは、フランスのテレビ局「カナル・プリュス」の本社ビルである。
1983年には、ドイツのバーデン・ヴェルテンベルクのウルム市に「ウルム市展示・会議ビル」(下の写真)が完成した。

ウルム市展示会場センター.jpg

この建物は、ミュンスタープラッツ(広場)の中に建てられているために、ミュンスター(ウルム大聖堂)とミュンスタープラッツ(広場)を眺めることが出来る。
1995年には、スペイン、バルセロナに「バルセロナ現代美術館」(下の写真)が完成した。

バルセロナ現代美術館.jpg

この美術館は、「MACBA(マクバ)」と呼ばれていて、主にコンテンポラリーアートを展示している。通路に面した開口部が大きいために室内に差し込む光によって明るい空間を醸し出している。
1995年には、オランダのアムステルダム、ハーグに「ハーグ市庁舎と中央図書館」(下の写真)が完成した。

ハーグ市庁舎.jpg

連続した巨大な構造の建物は、南東にコンサートホール、ホテル、舞踊劇場、南に多文化文化センターがあり、ヘーグの新市街地を形造っている。この建物の中には、主要公共図書館、評議室、カフェ、展示スペース、結婚式場があり、市庁舎は、一番明るいパブリックガレリア(アーケード)の両側にオフィススペースとして配置されて、一階にショッピングモールのような大型ビルとして構成されている。
1996年に、アメリカ、カルフォルニア州、ビバリーヒルズに「テレビとラジオの博物館」(下の写真)が完成した。

テレビラジオ博物館.jpg

この2階建ての建物は、既存の建物の改装と再編成の結果、通りに面して建てられ、自然光によって内部空間を明るく照らして空間に広がりをもたらしている。
1997年に、アメリカ、カルフォルニア州、ロサンゼルス、サンタモニカ山脈沿いに「ゲッティセンター」(下の写真)が完成した。


ゲッティセンター.jpg

丘の上に現代のアクアポリスを彷彿とさせるように建てられた建築群が「ゲッティセンター」である。ドラマチックなデザインの建物には、現代アートの名品を展示するギャラリーが連なっています。
この建物郡は、石油王ジャン・ポール・ゲッティの収集した美術品を収容するために、1997年に完成した。それ以前に、ゲッティ氏自身が、1974年に「ゲッティ・ヴィラ」を完成させて美術品を収容しようとしたが、完成を待たずに亡くなれらた。彼の死後、彼の遺産管理をした「ゲッティ財団」が、1993年に「ゲッティ・ヴィラ」の改修の必要が生じたことから、数多くの美術品を2か所に分散して収容することに決定して、1997年に「ゲッティセンター」を完成させた。「ゲッティ・ヴィラ」の取集品を「ゲッティセンター」に一部を移転収納して、「ゲッティ・ヴィラ」の改修を行った。「ゲッティセンター」で公開されているギャラリーは、東・西・南・北館の4か所の常設館の他に、企画展を行う展示館がある。(下の写真)

展示ギャラリー.jpg

写真中央のロタンダ(円形建物)を中心に左側に展示館、右側に北館があり、南側に向かって他のギャラリーが続いている。これらの建物は、本来は彼が好む白一色で仕上げル予定でいたが、周辺住民の反対を受けて、外壁はベージュ色の石灰岩で仕上げれれた。中央のロタンダは、白一色であるが、おそらく周辺から見えない位置に建てられているのではないかと推測する。

今回は、「Wikipedia」、「高松宮殿下記念世界文化賞」、「リチャード・マイヤーHP」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考




続きを読む
posted by 墨水 at 21:24| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

坂茂の紙の建築

今回は、前回に引き続き坂茂の建築を紹介いたします。今回は、紙管を使用して建てられた「紙の建築」を紹介します。紙管は、ニューヨーク近代美術館が企画した「アルヴァ・アアルトの家具とガラス展」の会場を構成する時に、予算的な制約と解体を考えての使用したのが始まりである。
その後、「紙の建築」は、1989年に名古屋で行われた「世界デザイン博覧会」で建てられた「水琴窟の東屋」(下の写真)で実施された。

水琴窟の東屋.jpg

この「紙の建築」は、名古屋市制100周年を記念して開催された博覧会で生まれた仮設建築である。
1990年に、神奈川県の小田原市に「小田原市市制50周年イベント」の多目的ホール「小田原パビリオン」(下の写真)が建てられた。

小田原パビリオン.jpg

この建物は、市長からの木造建築という要望に「進化した木」としての紙管の使用を提案して建てられた。設計期間内に建築基準法の38条認定を取ることが出来なかったために、鉄骨柱にスペースフレームの屋根をのせ、紙管は風圧のみを受ける自立した内外装材として使用した。
1994年に、東京都渋谷区にファッションデザイナーの三宅一生のギャラリー「紙のギャラリー」(下の写真)が完成した。

紙のギャラリー.jpg

この建物は、「紙管」を恒久的な構造材として使用した初めての建築で、建築基準法の38条認定を取得して建てられた。
1995年に、山梨県山中湖に彼の別荘として「紙の家」(下の写真)が完成した。

紙の家.jpg

この建物は、「紙のギャラリー」より先に建築基準法の38条認定を取得していたが、竣工が「紙のギャラリー」より後に完成した。
1995年1月17日に発生した「阪神淡路大地震」の後に、神戸市長田区に完成したのが「紙の教会」であり、あくまでも仮設建築であり、2005年に解体された。しかし、2008年には、台湾、桃米村に「ペーパードーム台湾」(下の写真)として、移築再建された。

ペーパードーム.jpg

この建物は、1999年に台湾で発生した「台湾集集地震」によって被災した桃米村の復興再建の一環として移築再建された建物である。
2000年には、ドイツ、ハノ―バーの「国際博覧会」で「日本館」(下の写真)が紙管で建てられた。

ハノーバー1.jpg

「ハノーバー博覧会」の主要なテーマは「環境」で、日本パビリオンの基本コンセプトは、解体されたときに発生する産業廃棄物を出来るだけ発生させない素材で作ることであり、この建物で使用した材料のほとんどは、リサイクルまたは再利用することが出来た。
2013年に、ニュージーランドで発生した地震で、「クライストチャーチ」が被災したことによって造られた仮設の「紙のカテドラル」(下の写真)が完成した。

紙のカテドラル.jpg

地震は、2011年2月22日に発生した「カンタベリー地震」で、街のシンボル的存在であった「クライストチャーチ大聖堂」が深刻な被害をもたらしたことで、仮設のカテドラルが完成した。

今回は、「Shigeru Ban Architects」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考




posted by 墨水 at 03:46| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

坂茂の建築

坂茂は、1957年に東京で生まれ、1976年に成蹊高校を卒業後、ジョンヘイダックが教えるニューヨーククーパー・ユニオンに憧れて1977年に渡米した。
1978年に南カルフォルニア建築大学に入学して2年半学んだ後の1980年に、クーパーユニオン建築学部に編入した。
1984年クーパーユニオン建築学部を卒業した。在学中の1982年から1年間「磯崎新アトリエ」に在籍した。
卒業後は、二川幸夫のアシスタントを務めた。
1985年に、「(株)坂茂建築設計」を設立した。
今回は、一般建築を中心に紹介をいたします。彼の住宅建築は、「坂茂の住宅建築」で紹介していますので、以外の建築の紹介をいたします。
1988年に、東京都世田谷区に彼のスタジオ「三枚の壁」(下の写真)が完成した。

3枚の壁.jpg

この建物のコンセプトは、「ここでは「3枚の壁」はより明確に分節化され、それぞれが異なる表情と機能を持っている。それぞれの壁をつなぐ要素はガラスやガラスブロックとし、ここから差し込む光が、3枚の独立性を強化している。」と述べられている。
1992年に、東京都渋谷区に「線路脇のコンプレックス」(下の写真)が完成した。


線路脇のコンプレックス.jpg

この建物は、「特に線路側境界にあっては杭用PCパイル55本が境界に沿って並び、このコンプレックスを性格づけるセミパブリックな吹抜空間を内包している。」と述べられている。
1992年、秋田県田沢湖に東北新幹線の「JR田沢湖駅」(下の写真)が完成した。

JR田沢湖駅.jpg

この建物は、「安いPCパイルを構造として列柱状に並べ鉛直荷重を分散させて大屋根を支持させている。屋根を受ける梁は、16oの鉄板で応力を受けるようにして、鉄板の両面を短い集成材で挟み剛性をもたせた複合梁とした。 長方形の屋根と、円弧のPCパイルの配置のギャップとして入口部に大きな庇が出るようになり、大梁のキャンティレバーの長さが中央に行くに従い大きくなるため、柱頭の梁背が中央に行くに従い高くなり、自然に町からの要望の浅いヴォールト屋根となった。」と述べられている。
2000年には、大阪市中央区に「GC大阪営業所ビル」(下の写真)が完成した。

GC-大阪営業所ビル.jpg

この建物は、「1層分の高さをもつ鉄骨の「フィーレンディール・トラス」を1層おきに22mのスパンで架けて、ショールーム、オフィス、会議室などのために柱がない大空間を造っている。また、大断面木造設計における「燃えしろ設計」の考え方を応用して、評定を受けて木製の耐火被覆を実現している。」と述べられている。
2002年には、静岡県三島市に「紙の資料館(PAM)」(下の写真)が完成した。

PAM.jpg

この建物は、「紙のメーカーの展示、開発、販促の場としての資料館である。この資料館は、単純な正方形のプランを3等分し、庭の景観を楽しめる南側にオフィス機能を、北側に展示空間を配して、その間を3層吹き抜けのアトリウム空間としている。南、北のブロックは、完全に独立した構造にして独立性もたせ、半屋外的空間の特性を強調するために配したアトリウムの東西面をFRP製のスタッキング・シャッターで開閉できるようにした。」と述べられている。
2006年には、東京都武蔵野市の成蹊大学構内に「成蹊大学情報図書館」(下の写真)が完成した。

成蹊大学情報図書館.jpg

「この図書館ではさまざまなコミュニケーションや情報交換に対応できるよう「喋られる」新しい図書館のあり方を提案しています。ここでは、人々が集い、情報を交換し、議論をする場としてのグループ閲覧室を 中央のアトリウムに浮かべています。」と述べられている。
2010年には、フランス・メス市に2003年のコンペで勝ち取った「ポンピドーセンター・メス」(下の写真)が完成した。

ポンピドーセンターメス.jpg

この建物は、「一般ギャラリーを幅15m,長さ90mの四角いチューブ状のボリュームに入れ,エレベータと階段が納まった六角形の鉄骨タワーの周りに3段に積み上げて配置されている。3本のギャラリーチューブは,先端の小口が断面いっぱいのピクチャー・ウィンドーとなっていて、一番上層のチューブ3ではメッツ市のシンボルであるカテドラルを,チューブ2では中央駅を切り取った。これらのボリュームを一体の建築として融合させるため,六角形の水平飛影面を持った木造の屋根で覆った設計である。」と述べられている。
2014年に、大分県大分市に「大分県立美術館」(下の写真)が完成した。

大分県立図書館.jpg

「この美術館、1階に巨大な無柱空間であるアトリウムがあり、その中に気密性、遮音性を持った可動展示壁で自由に間仕切れる企画展示室がある。閉鎖的な展示室だけでなく、アトリウムと一体とした展示も可能となっている。また、建物正面の外装には水平折戸を設け、開放することでアトリウムは半屋外空間となり、街に開かれた展示やイベントなど多目的に利用可能となっている。3階は1階と対照的なオーソドックスな閉鎖的な企画展示室と常設展示室を計画し、展示物に適した展示環境の提供が可能となっている。外壁は木質ハイブリッド集成材と杉無垢材のブレースを重ね、構造体がそのまま、大分の伝統的な竹工芸のようなパターンの意匠となる」と述べられている。

今回は、「Wikipedia」、「Shigeru Ban Architects」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考










posted by 墨水 at 04:32| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする