2018年02月01日

内井昭蔵の建築T

内井昭蔵は、1933年に東京市神田区に生まれ、1952年に早稲田大学第一理工学部建築科に入学し、吉阪隆正らの指導を受け、1956年に早稲田大学を卒業し、早稲田大学大学院に入学した。
1958年に大学院を卒業して、「菊竹清訓建築事務所」に入所した。
1967年には、「菊竹清訓建築事務所」を辞め、「内井昭蔵建築設計事務所」を設立した。
1971年に、静岡県富士宮市に日蓮宗大本山の「北山本門寺客殿」(下の写真)が完成した。

北山本門寺客殿.JPG

外壁は、コンクリートの打放しであるが、日本的要素を出すために、型枠に羽目板を張り、目地は出っ張るように隙間を開けて打設している。屋根は、木造下地の構造で、壁が鉄筋コンクリートの混構造である。
1976年には、山梨県南巨摩郡身延町に「身延山久遠寺宝蔵」(下の写真)が完成した。

身延山久遠寺宝蔵.jpg

久遠寺の宝蔵は、二棟二倉の「双倉(ならびくら)」である。鉄筋コンクリートの2階建てで外装は、アルキャストの松煙仕上げである。(生涯一設計士・佐々木繁ブログより)
1980年には、新潟県新発田市に「新発田市民会館・公民館」(下の写真)が完成した。

新発田市民会館.JPG

この建物の外観は、コンクリート打ち放し仕上げで、内部のホールの形状が外部の形状のアール表れたデザインである。
1984年に、沖縄県浦添市に「浦添市立図書館」(下の写真)が完成した。

浦添市立図書館.jpg

この建物は、沖縄県の重要文化財「中村家」からはパティオを囲むトラバーチン風の屏風(ひんぷん)を、琉球王家の墓「玉綾(たまうどん)」から霧妻屋根をヒントにデザインされた。
1986年には、東京都世田谷区に「世田谷美術館」(下の写真)が完成した。

世田谷美術館.jpg

この美術館は、「生活空間としての美術館」、「オープン化された美術館」「公園美術館」の3つのコンセプトで作られた美術館であり、彼の「健康な建築」のひとつでもある。
1987年には、新潟県新発田市に「蕗谷虹児記念館」(下の写真)が完成した。

蕗谷虹児記念館.JPG

この記念館は、「新発田市民文化会館」(写真左の建物)と同じ場所に建っている。文化会館に合わせるために外壁は、コンクリート打ち放しに横目地にb器質タイルを張っている。建物は、ビザンチン様式を取り入れドーム屋根を銅板葺で仕上げている。
1989年に、愛知県碧南市に「丸栄陶業本社屋」(下の写真)が完成した。

丸栄陶業本社屋.jpg

現在は、「栄四郎瓦」に社名を変更している。当初の本社屋は、写真右上で事務所棟、食堂棟、ギャラリー棟の3棟にいぶし瓦を3種類使用して建てている。その後、改修されたようで、展示室のドーム型の建物は、農家のような形状に、事務所棟には外部に跳ねだした廻り階段が設置されるなど改修されている。
1989年に、沖縄県浦添市に「浦添市美術館」(下の写真)が完成した。

浦添美術館.jpg

奥の八角形の屋根が、展示室で間接光を合理的に導くためにデザインされた形状である。それがいくつもつながって構成されている。
1993年には、富山県高岡市に「高岡市美術館」(下の写真)が完成した。

高岡市美術館.jpg

この建物は、「大地から生えてきたような建築」で自然を再現したい思いから分散して配置し、文化広場のシンボルを中心に各施設を回廊でつないだ構成になっている。

今回は、「内井昭蔵の思想と建築」、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

次回、この年代の続きの建築を紹介します。

今回は、ここまで!!

☆参考





posted by 墨水 at 05:52| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

フランク・ロイド・ライトの建築U

今回は、1951年以降の「フランク・ロイド・ライト」の作品を紹介いたします。
1956年に、オクラホマ州に「プライス・タワー」(下の写真)が完成した。

プライスタワー.jpg

彼が、設計した唯一の高層ビルである。この建物は、X形の平面と、コア部分に4基のエレベーターを持つ独創的なデザインのライト流高層建築である。実現しなかったが、超高層ビル「マイルハイ・イリノイ」528階建ての計画案を計画した。
1959年に、ペンシルベニア州エルキンズに「ベス・ショーロム・シナゴーグ」(下の写真)が完成した。

ベスショーロムシナゴーグ2.JPG

外観は、ユダヤ教の象徴であるシナイ山をイメージしていているが、トゲトゲしい外観とは異なりワイヤーガラスと半透明の波形プラスチックで覆われた室内は、全体的に柔らかい光で満ちあふれている。さらに、天井から吊されたカラフルなステンドグラスによって神聖な空間の雰囲気を醸し出している。
1959年には、ニューヨーク州、ニューヨークに「グッゲンハイム美術館」(下の写真)が完成した。

グッゲンハイム美術館.jpg

1937年、アメリカの鉱山王「ソロモン・R・グッゲンハイム」のアートコレクションを収蔵するため、「ソロモン・R・グッゲンハイム財団」を設立し、1943年に「フランク・ロイド・ライト」に設計を依頼して、1959年に完成した。
1961年には、ウィスコンシン州ミルウォーキに「ギリシア正教教会」(下の写真)が完成した。

ギリシア正教教会.jpg

この建物の頂上の十字架は、宗教上の必要性から教会側が後に追加した。
1963年には、カルフォルニア州マリン郡に「マリン郡庁舎」(下の写真)が完成した。

マリン郡庁舎.jpg

1957年に、設計されたが、1959年に彼が亡くなったために、この建物は、タリアセンの弟子たちによって完成された。
1964年には、アリゾナ州フェニックスの「アリゾナ州立大学」構内に「記念劇場」(下の写真)が完成した。

アリゾナ州立大学記念劇場.jpg

1959年に設計されたから彼の遺作と言える建物であり、やはりタリアセンの弟子たちによって完成された。この建物の正式名称は、「グラディ・ギャメージ記念講堂」である。若葉を模した支柱や円を基調としたディテールに、彼の追求した有機的建築理念を覗うことが出来る。
今回の建物の完成年は、「カーサ・ブルータス」の年表を参考に紹介しています。

今回は、「カーサ・ブルータスextraissue」、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考



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フランク・ロイド・ライトの建築遺産 -
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posted by 墨水 at 10:10| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

フランク・ロイド・ライトの建築T

「フランク・ロイド・ライト」は、「ル・コルビュジエ」と「ミース・ファン・デル・ローエ」と共に「近代建築の三代巨匠」と呼ばれている。
彼は、アメリカ・ウィスコンシン州に生まれ、ウィスコンシン大学マディソン校土木科を中退して、シカゴに移り住んだ。「ジョセフ・ライマン・シルスビー事務所」に務め、1年ほどで事務所を辞めて、「アドラー=サリヴァン事務所」へと移った。ここでアルバイトで住宅設計をしたことで「サリヴァン」咎めれて、1893年に事務所をやめ、独立事務所を構えた。
1894年に完成した「ウィンズロー邸」(下の写真)が、独立後最初の作品である。

ウィズロー邸.jpg

その後の彼の住宅建築は、「フランク・ロイド・ライトの住宅建築」で紹介しています。
今回は、彼の一般建築の作品の紹介をいたします。
1903年に、ニューヨーク州、バッファロー市に「ラーキン・ビル」(下の写真)が完成した。

ラーキンビル.jpg

彼の初めての事務所建築の設計で、この建物でこの当時の最新の空調システムの技術を導入した。
1908年に、イリノイ州シカゴ、オークパークに「ユニティ教会」(下の写真)が完成した。

ユニティ教会.jpg

この建物は、彼が手掛けた最初の公共建築である。
1914年に、彼に悲劇が襲った。タリアセンの使用人が、彼の妻と子供、そして弟子4人殺して、自邸に火をつけ「タリアセン惨殺放火事件」である。
1917年には、日本の「帝国ホテル」の設計をするために来日し、「遠藤新」を伴って帰国した。
1919年に、「帝国ホテル・ライト館」の着工によって、その年の暮れに「アントニン・レーモンド」を伴い、来日する。
1922年に、「帝国ホテル」本館から出火したことによって、「林愛作」支配人が辞職したために、建設工期の遅れや大幅な予算のオーバーなどの理由によって、「林愛作」の後ろ盾を失い実質的な解任をされ、残りの工事を「遠藤新」に任せて帰国し、二度と来日することはなかった。
1923年に、「帝国ホテル」(下の写真)が完成した。

帝国ホテル.jpg
「帝国ホテル」の完成披露パーティーの当日に、関東大震災が起こった。これによる被害は、少なくホテルは無事であった。彼の来日中に設計した他の建築は、「遠藤新」が引き継いで完成させた。
1927年に、アリゾナ州フィニックスに「ビルトモア・ホテル」が完成した。

ビルトモアホテル2.jpg

彼の生徒であった建築家「アルバート・マッカーサー」との共同設計である。
1939年には、ウィスコンシン州ラシーンに「ジョンソンワックス社事務所棟」(下の写真)が完成した。

ジョンソンワックス社.jpg

左手のタワーは、1950年に完成した「研究所棟」である。
この建物内部の柱が、非常に特徴的である。(下の写真)

ジョンソンワックス社2.jpg

上に行くに従い徐々に太さを増し、天井部分で広がり屋根を支えている。この柱を彼自身は、「蓮の葉」と呼んでいて、上部のトップライトからの光によって「蓮の葉」が宙に浮いて見え、浮遊感のある空間を演出している。
1948年に、カルフォルニア州、サンフランシスコに「モリス商会」(下の写真)が完成した。

モリス商会.jpg

現在は、1979年にオープンした「ザナドゥギャラリー」として使用され、「フォークアート」作品が展示されている。
1951年には、ウィスコンシン州マディソンに「ユニタリアン・ミーティングハウス」(下の写真)が完成した。

ユニタリアン教会.jpg

彼は、アメリカで20世紀には尖頭を頂いた教会は不適切と感じていて、全知の統一意識を表明した建築を建てようとしたのが、この建物である。
この建物以降の彼の作品は、次回で引き続き紹介をいたします。

今回は、「カーサブルータス」、「Wikipedia」、「エル・デコ」他から紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考






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posted by 墨水 at 04:46| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする